2016年に発売された森見登美彦『夜行』の考察記事を書いていきたいと思います。
森見登美彦は元々妻が大好きな作家で、『夜行』は妻が先に読み、「ぜひ読んで感想を聞かせてほしい」と頼まれたので、読むことにしました。
森見登美彦は過去にも妻に勧められていくつか読んだことがあったのですが、作風も文体もユーモラスな作家なんだなーという印象でした。
しかし、『夜行』は森見登美彦の数少ないホラー小説ということで、文体もユーモラスなものではなく、終始不穏な雰囲気で、非常に私好みの作品でした。
また、作中で明確な答えが提示されるわけではないので、読者が自分で内容を解釈しなければならず、とても読み応えがありました。
今回は、読了後に妻に話した考察を元に記事を書いていこうと思います。
まず、あらすじと作品紹介をして、警告後にネタバレ有りの考察も載せますので、『夜行』を読んだ方は、こんな解釈もあるんだーというくらいの軽い気持ちでお読みください。
『夜行』の作品紹介
『夜行』は森見登美彦のデビュー10周年記念作品で、直木賞、本屋大賞にダブルノミネートされた作品です。
あらすじを小学館の公式サイトから引用させていただきます。
僕らは誰も彼女のことを忘れられなかった。
私たち六人は、京都で学生時代を過ごした仲間だった。
小学館公式サイト
十年前、鞍馬の火祭りを訪れた私たちの前から、長谷川さんは突然姿を消した。
十年ぶりに鞍馬に集まったのは、おそらく皆、もう一度彼女に会いたかったからだ。
夜が更けるなか、それぞれが旅先で出会った不思議な体験を語り出す。
私たちは全員、岸田道生という画家が描いた「夜行」という絵と出会っていた。
旅の夜の怪談に、青春小説、ファンタジーの要素を織り込んだ最高傑作!
「夜はどこにでも通じているの。世界はつねに夜なのよ」
登場人物がそれぞれ不思議な体験を順番に話すという構成は、百物語をモチーフにしているそうです。
百物語とは、数人が集まって順番に怪談を話し、1つの話が終わるごとにロウソクの火を消していき、100本すべてが消えて真っ暗になると、本物の物の怪が出てくると言われているものです。
『夜行』の雰囲気も、ホラーより怪談と表現した方が、個人的にはしっくりくる感じがします。
物語の鍵となる、岸田道生が描いた「夜行」は、四十八作からなる連作で、「尾道」や「鞍馬」など、全国の地名がタイトルになっています。
その地名に実在する場所を背景に、のっぺらぼうの女性がこちらを向いて右手を挙げているという構図で、銅版画というもので描かれています。
銅版画というのは、学校の授業でよくやる木版画の銅バージョンみたいなやつですかね。
ちなみにタイトルの「夜行」の由来は、夜行列車か、百鬼夜行の夜行だと言われています。
これから先はネタバレ有りで考察をしていきますので、『夜行』を未読の方は、『夜行』を一度読んでから、続きを読んでみてください。
『夜行』ネタバレ有りの考察
ここからはネタバレ有りで夜行について私なりの考察をしていきます。
内容としては、まず夜行の世界観について全体的な考察をした後、小学館の公式サイトにある「『夜行』を読み解くための10の疑問」に沿って、各章の解説をしていきたいと思います。
『夜行』で読者が読む話は、登場人物が穴に吸い込まれた世界
まず、前提として理解が必要なのは、『夜行』において、私たち読者が読んでいる物語と、現在の火祭りでそれぞれが語っている話の内容は別だということ。
最終夜で高橋が、みんなの話は岸田道生の作品が関係するという共通点があるが、それぞれは平凡な話だと言っています。
そして、「しかし、旅先でぽっかり開いた穴に吸い込まれ、無事に帰ることができない可能性は常にある」と言っていました。
この穴という表現は作中に度々出てきています。「長谷川さんを吸い込んだ暗い穴」とか、「世界に穴が開いたような落ち着かない気持ち」とか。
『夜行』において私たち読者が読んでいるのは、登場人物たちがこの穴に吸い込まれてしまったifの世界なのではないでしょうか。
そして、『夜行』の世界を理解するため、私が物語の中からピックアップしたキーワードは3つです。
①ゴーストの絵
まずは最終夜で語られたゴーストの絵についての逸話です。
昔、ある画家が横恋慕から殺害した女性が、画家の絵の中に出現したと言われていて、この絵に心惹かれると絵の中の女性が振り返り、顔を見ると絵の中に引きずり込まれるという逸話があります。
これは、この物語において2つのことを暗示していると思います。
1つ目は、ゴーストストーリーにインスピレーションを受けた岸田道生が、長谷川さんを殺害し夜行を描いたこと。
2つ目は、夜行の世界において、夜行という絵に心惹かれることが穴に吸い込まれる条件であること。
そして、絵に心惹かれている人物は、絵の中の女性に自分の思い人や理想の相手を重ねていて、その相手が鬼として現れるのだと思います。
②鬼
佐伯が第四夜で、電車に乗り合わせた女子高生(高校時代の長谷川さん)に対して、「岸田を殺した鬼」と呼んでいます。
鬼は、「夜行」に心惹かれた人間を穴に誘う存在なのだと思います。
そして鬼は、それぞれが絵の中の女性に重ねた思い人の姿で現れます。
各章のラストに出てくる、中井の妻、美緒、かなちゃんなどは、鬼がそれぞれの思い人の姿で現れた状態で、岸田にとっては高校時代の長谷川さんの姿をしているのだと思います。
③魔境
魔境とは、「修行僧が体験する偽りの悟り」のことで、第四夜で佐伯から、天狗にたぶらかされた伊吹山の三修禅師の逸話が語られます。
これは、夜行に心惹かれて、穴に飲み込まれた状態を指すのではないでしょうか?
各章のラストは、どれも不穏な雰囲気で、明らかにバッドエンド風なんですが、登場人物たちはどこか恍惚とした感じで、達観してるような言動になっています。
逸話では天狗となっていますが、夜行の世界ではそれは鬼に置き換えられるでしょう。
つまり、夜行の世界でいう魔境とは、絵の中の鬼にたぶらかされて、穴に吸い込まれた状態のことだと思います。
夜行の世界と曙光の世界の関係について
これまで書いたように、夜行の世界は、岸田が「夜行」という芸術作品を完成するために長谷川さんを殺害した世界。
そして、曙光の世界は、長谷川さんを殺害せず、長谷川さんと結婚していたらという岸田の願望が生んだ世界ではないでしょうか。
最終夜を読んでいるとき、最初はなんで曙光の世界では高橋が行方不明なんだろうと疑問に思いましたが、おそらく、岸田に長谷川さんが殺害されなければ、高橋と長谷川さんは結ばれる運命だったのではないでしょうか。
長谷川さんと結ばれるという岸田の願望によって生まれた曙光の世界は、高橋が存在していると成立しないので、行方不明ということになっているのだと思います。
どちらの世界が真実の世界ということはなく、岸田が第四夜で言っていたように、「世界は無限に広がる魔境の総体」です。
作中に出てくるガガーリンの「地球は青かった」という話を読んで、この物語は、ただ1つの地球が曙光の世界で、その周りに無限に広がる宇宙が夜行の世界というイメージを持ちました。
『夜行』の各章を「10の疑問」に沿って解説
第一夜「尾道」
第一夜の「『夜行』10の疑問は、
- ホテルマンの妻が二階に篭るようになったのはなぜか?
- 中井の妻が「変身」したのはなぜか?
になります。
ホテルマンの妻が2階に篭るようになった理由は、夫婦それぞれ言い分が違います。
妻の方は、「勝手に、出かけると夫が怒り、1階に降りても嫌な顔をする」からだと説明しています。
対して夫は、「妻がお店を開けたり開けなかったりで、どこかに出掛けていたりするするし、家の様子がおかしいと言うと、おかしいのはあなたでしょう」と言って2階に篭ってしまったと言っています。
この夫婦間の意見の対立、中井夫婦も似たような状態でした。
私の考察では、ホテルマンは中井自身です。
正確には、中井の負の一面(無自覚な束縛・詮索癖)だと思います。
そして、妻が閉じこもっている家は、妻自身か、妻の内面を具現化したものだと思います。
1階の海風商店は、妻の外側に開かれた部分、2階は妻の内面の深いところというような感じで。それがなぜ長谷川さんの祖母の家なのかははっきりしませんが。
中井は夫としての責任云々で妻を束縛したり、妻の様子がおかしいと詮索したりします。
これにより妻は疲弊し、悪夢を見るまでになります。(中井が2階=妻の内面を覗き見ようとする夢)
中井のこのような束縛癖は、学生時代に好きだった長谷川さんが突然失踪したことに起因するのかなと個人的には思っています。
ホテルマンの妻が死んだとされた踏切の場面、踏切にいた女性が、中井には長谷川さんに見えて、妻には妻自身に見えたのは、中井がまだ長谷川さんに未練があったということなのかなーと思ったりしました。
もしかしたら、この旅で妻は中井さんが長谷川さんに未練があること、尾道に行ったことがないというのは嘘だということに気づいたのかもしれません。(海風商店が長谷川さんの祖母の家になっているのもそれが関係している?)
中井がホテルマンを殺したことは、長谷川さんに未練タラタラな中井が、妻の家出で自分の束縛癖を自覚して、自分を見つめ直したってことなのかな?と思います。
質問の答えは、長谷川さんに未練タラタラの中井の束縛で妻が疲弊したからという感じですかね。
第二夜「奥飛騨」
第二夜の「『夜行』を読み解くための10の疑問」は、
- 死相は確かに浮かんでいた。誰と誰に?
- 大きな事故が起こった。それはどこか?
です。
順番が前後して、2つ目の質問から答えると、事故はトンネルの手前の場所で起きたと思います。
「君まで寝たら事故っちゃうよ」と言われたのに助手席の武田は寝てしまって、悲鳴のような声で目覚めます。
場所も夜行で描かれた場所で、武田は美弥の姿をした鬼を目撃します。
と瑠璃がトランクを開けて何をしていたのか気になりますが…
途中、二手に分かれて女性陣が車で移動するのはミスリードということですね。
そしてこれが1つ目の質問の答えで、死相が出ていたのは、この時居眠りしていた武田と美弥だと思います。
「2人はこの後も普通に旅行してるじゃん」とか、「だったら武田がこの話をできてるのおかしい」とか思う方もいるかもしれないんですけど、『夜行』はそういう現実的な読み方をする小説じゃないと思うんですよね。
第一夜にしても、ホテルマンが妻を殺して2階に隠してるんだーとかそういう感じじゃなくて、観念的な物語というか。
第三夜「津軽」
第三夜の「『夜行』を読み解くための10の疑問」は
- なぜ児島くんが最初に姿を消したのか?
- 画廊で銅版画を見たとき、児島くんは何を言い淀んでいたのか?
です。
私は小説でも映画でも、少年少女のイマジナリーフレンドが出てくるホラーがけっこう好きなので、第三夜は楽しめましたね。
質問の答えですが、児島は藤村の画廊で夜行を見た時に、夜行に心惹かれ、先に穴に吸い込まれたのだと思います。
そして、画廊で何を言い淀んでいたかですが、これは夜行に描かれている女性が藤村に見えたということじゃないでしょうか。
つまり、中島は藤村に密かな恋心を持っていたということですね。
きっと、火事の家のそばに見えた女性は、藤村の姿をした鬼だったのだと思います。
第四夜「天竜峡」
第四夜の「『夜行』を読み解くための10の疑問」は、
- 田辺と岸田が親しくなった木屋町の夜、岸田は何について語ったか?
- 「夜行」に描かれている女性は誰なのか?
です。
第四夜は他とは少し違った話で、現れた鬼は田辺や佐伯の思い人の姿ではなく、岸田にとっての鬼である高校時代の長谷川さんの姿で現れます。
田辺と佐伯の共通点は、岸田の家の暗室に入ったこと。
おそらく、あの暗室は穴に直接つながっているのではないでしょうか。
最後の「ずっと暗室にいた」というセリフもそれを表しているのだと思います。
岸田は自ら暗室に篭って穴に吸い込まれ、そこで鬼である長谷川さんと過ごしながら夜行の構想を練っていたのかな?
第一夜のラストで、中井の妻が暗室みたいに暗い2階にいたと言っていたのは、ラストの妻が鬼だということを表しているのかも。
質問の答えですが、岸田と田辺が木屋町で話した内容は、夜行の準備期間と長谷川さんの失踪についてです。
私は準備期間の話が、重要だと思っています。
夜行の着想を得たのが留学から帰った翌年、準備期間を経て最近着手したということでしたが、着想を得たのが長谷川さんとの初対面、準備期間の終わりが長谷川さんの失踪とピッタリ時期が一致します。
長谷川さんと出会った岸田が、留学中に聞いたゴーストの絵と組み合わせて夜行の着想を得て、鞍馬の火祭りで長谷川さんと再会、殺害することで夜行作成のための準備が終わったということじゃないでしょうか。
つまり、この会話は、岸田が長谷川さんを殺害したということを示すヒントということでしょう。
2つ目の、夜行に描かれている女性が誰かという疑問ですが、これは鬼だと思います。
岸田にとっての鬼は高校時代の長谷川さんの姿なので、長谷川さんがモデルとも言えますが、曙光が妻である生身の長谷川さんをモデルにしているのとは、ビジュアル的には同じでも、本質的な違いがあるんじゃないでしょうか。
おそらく、夜行と曙光の第一作目の「尾道」でそれぞれ描かれている内容が少し違うのは、夜行は外灯の下で見た怪しい人影(鬼)を描いていて、曙光は祖母の家の2階から顔を出している生身の長谷川さんを描いているからだと思います。
最終夜「鞍馬」
最終夜の「『夜行』を読み解くための10の疑問」は
- 英国で岸田が見たという「ゴーストの絵」その作者は何を隠していたか?
- 本当に夜は明けたのか?
です。
これまでに触れた内容と重複しますが、1つ目の答えは、画家が令嬢を殺害したことですね。
ここでわざわざ疑問の1つに挙げてくるのは、岸田が長谷川さんを殺害したことのヒントということだと思います。
2つ目の疑問、「本当に夜は明けたのか」
これについては、小説を読んでいるときは深く考えていなかったのですが、わざわざ聞いてくるということは明けてないのかな?笑
ラストの高橋の心理描写は少し魔境感?があるので、夜が明けたように感じているのは偽りの悟りということだと思います。
あと、この疑問は、物語を読み終わった私たち読者に対して、「あなたの解釈は本当に正解かな?」という作者からのメッセージのような気もします。
読む人ごとに解釈が分かれるような物語なので、真実は夜の闇の中といった感じでしょうか。
それにしても、もし私の仮説通り、高橋と長谷川さんが元々は結ばれる運命だったのに、岸田に引き裂かれたのだとしたら、最終夜での短い邂逅によって、自分の世界に相手はいないけど、別の世界でそれぞれ人生を過ごしていることを知ったということですよね。
これは救いがあるような、切ないような、余韻があるラストですね。
好みは別れるかもしれないが、おすすめです
以上が私なりの『夜行』の考察です。
私は小説でも映画でも、『夜行』のように、答えが明確に示されていない作品を鑑賞し、妻とあーだこーだ話したり、考察記事を読んだりするのが好きなのですが、中にはもやもやして終わってしまう方もいるのかなーと思いました。
私個人としては、とても素晴らしい読書体験となり、大満足です!
森見登美彦の別作品も読んでみようと思います。
今回、大分根拠のない私の妄想も入っていますが、妻に良い格好をしたくて、人生で一番精読したような気がするので、この記事が『夜行』を読んだ方にとって、作品解釈の参考になればいいなと思います。