『吾輩は猫である』に続き、『坊ちゃんも読了したので、感想を書いていきたいと思います。
夏目漱石作品の中でもファンが多い作品で、それほど長くないので、とても読みやすかったです。
以下、『坊ちゃん』の内容に触れた感想がありますので、未読の方はご注意ください。
『坊ちゃん』のあらすじ&作品紹介
まずは、新潮社の公式ホームページから、あらすじを引用したいと思います。
松山中学在任当時の体験を背景とした初期の代表作。物理学校を卒業後ただちに四国の中学に数学教師として赴任した直情径行の青年“坊っちゃん”が、周囲の愚劣、無気力などに反撥し、職をなげうって東京に帰る。主人公の反俗精神に貫かれた奔放な行動は、滑稽と人情の巧みな交錯となって、漱石の作品中最も広く愛読されている。近代小説に勧善懲悪の主題を復活させた快作である。
新潮社公式ホームページ
『坊ちゃん』は夏目漱石の処女作『吾輩は猫である』連載中に書き上げられた、夏目漱石の初期の小説です。
『坊ちゃん』は、『吾輩は猫であある』のような、冗長な展開や脱線もなくストーリーが進んでいくので、現代の人が読んでも、普通にエンタメとしてサクッと読めると思いました。
登場人物はキャラが立っていて、坊ちゃんが特徴を捉えてあだ名をつけるので、登場人物のキャラクターがつかみやすいです。
深く考えずに読んでも、あらすじに書いてあるように勧善懲悪のスカッとする話として楽しめるのですが、ちょっと一歩引いた目で見ると違う読み方もできると思ったので、そのことについて書いていきたいと思います。
内容に触れますので、未読の方はご注意ください。
『坊ちゃん』は単純な勧善懲悪の物語か?
ここからは、『坊ちゃん』の内容に触れながら感想を書いていきたいと思います。
『坊ちゃん』は封建時代と近代の対決の物語
『坊ちゃん』が江戸時代以前、つまり封建時代と近代の対決の物語ということは、どこかで聞いたことがあったし、読んでいても分かりやすかったですね。
大学で文学士をとったインテリの赤シャツは近代を代表する存在で、江戸っ子の坊ちゃん、会津の山嵐は旧幕府、つまり封建時代の代表という。
合理的な近代の精神と人情を重んじる封建時代の精神では相容れず、対立するのはしょうがない感じがします。
表面上は、人情に厚い坊ちゃんがいけ好かない赤シャツに天誅を下す勧善懲悪のスッキリする話のようですが、冷静に考えたらそんな単純な勧善懲悪ではないと思いました。
赤シャツは本当に悪者なのか
そもそも、赤シャツは天誅を下されなくてはいけないような悪者だったのでしょうか?
うらなりくんからマドンナを略奪したようになっていますが、マドンナは外見も内面もパッとしない、おまけに財産まで失ったうらなりくんと付き合い続けなくてはいけないのでしょうか?
それではマドンナが気の毒だし、状況が変わったのだから、より良い相手と付き合いたいと思うのは当然だと思います。
赤シャツも、うらなりくんとマドンナが付き合っている間はどうこうするつもりはないと言っていましたし。
単純に、魅力がなくなった恋人と別れて、高学歴で地位もあり、話が達者な魅力的な男性と付き合いだしたというだけの話じゃないでしょうか。
うらなりくんの転勤も、マドンナは関係なく、組織の運営上、坊ちゃんたちは知らない大人の事情があったのかもしれない。
山嵐を退職に追い込んだ陰謀というのも推測でしかないし、芸者と遊んでいたのも状況証拠しかない(そもそも芸者と遊んでいても坊ちゃんたちには関係ないですし)
それでも読者は、赤シャツは嫌なやつだと思っていたし、最後にボコボコにされてスカッとするようになっていますが、そもそも坊ちゃんの主観で書かれている話なので、赤シャツを嫌なやつだと思うのも、無自覚な坊ちゃんの誘導をうけているからとも思えます。
赤シャツは女性みたいな喋り方だと坊ちゃんはバカにしますが、私も九州に住んでいた小学生時代、神奈川からの転校生の標準語を聞いて「女ごた話し方ばい」と思ったものです。(そんな私も今は標準語しか話せません)
もし赤シャツ視点で小説を書いたら、学のない野蛮な問題児たちとの対決の物語になっていたかもしれません。
坊ちゃんと山嵐の危ない正義感
先ほども記述したように、坊ちゃんと山嵐は、赤シャツの悪行について状況証拠しかないのに、推測や他人から聞いた噂話を真実と信じ込んで、最後は暴力によって天誅を下します。
これは義理人情を重んじて、仇討ちなんかが美徳とされた封建時代の正義で、現代の私たちがちょっと冷静に見てみると、かなり危険な人たちじゃないですか?
結局誰も救われないやり方だし、彼らがただ気に入らない人物に大義名分を掲げて暴力で憂さ晴らししたように見えてしまいます。
坊ちゃんと清の関係は美しい
封建時代の精神による正義の執行は、とても危険なものだと書きましたが、封建時代の精神がすべて否定されるべきではないと思います。
坊ちゃんと清の関係は、とても美しいと感じました。
清は没落した由緒正しい家系の出身ですが、時代が変わった現在ではロクな教育を受けていない老婆です。
つまり、清も封建時代を代表する人物であり、昔から「坊ちゃんは大物になる」と坊ちゃんを無条件に全肯定してくれる存在で、生涯坊ちゃんに付き従うことを願っていました。
これは、血縁でも恋愛でもない絆で、封建時代の主従関係に似たようなものでしょうか。
清が書いた拙い手紙を、坊ちゃんが一生懸命読もうとする場面や、清が坊ちゃんと同じ墓に入りたいと願い、「だから清の墓は小日向の養源寺にある。」というラストは、作中で際立って美しく、感動的だと思いました。
【最後に】夏目漱石作品で人気があるのも納得
『坊ちゃん』は夏目漱石作品の中でも屈指の人気作のようですが、それも納得の面白さでした。
相変わらず、面白おかしくてテンポの良い文体で、話も長くないのであっという間に読み終わってしまいました。
夏目漱石は坊ちゃんの正義を肯定的に書いたのか、否定的に書いたのか。
評論とかもたくさんあるだろうから、機会があったら色々読んでみたいと思いました。